Se connecter「四月一日。本日より新年度です!
私、出勤前、鏡の中の自分に向けて笑顔で唱えてみた。
けれど、それは事実と異なっている。昨日見学した通り、実際は「怪奇現象対策課」という不思議な組織で、メインとなる業務はキッカイ町の中で起こる怪奇現象への対策を練ることらしい。
急にそんなことを言われたって私に生まれ持った霊感みたいなものはないし、なんなら昨日の空に浮かぶ目玉が人生初怪異だった。 そんな私に対して、伏木分室の館長である
私たちに課された使命はよくわからない怪異を相手に対策を考えること。
ということはただ観測するだけじゃなくて時には立ち向かって対決しなきゃいけないっていうことだよね? あんなモノたちを一年も相手にし続けていたら精神を病んでしまいそうな気がするんだけど……。「香塚先輩おはようございます」
今にも崩れそうな公民館の入り口で葛藤に揺れていると、後ろから声を掛けられた。
振り向いて目が合ったのは、白いフリルのついたワンピースを着た小柄な女の子。 同じ伏木分室に勤める「おはようございます」
挨拶を返しながら、何事もなかったように伏木分室の中へ入った。
少し埃っぽいような空気の臭いは図書館となんら遜色ない。 なのに、この空間には本も利用者も存在しない。 あるのはこの町で起こった怪奇現象の報告書とそれを分析した怪奇レポートだけらしい。「昨日の、すごかったですね」
結城ちゃんが噛みしめるように言う。
そうだ。そうだよね。
あんなモノ見ちゃったら怖くなるのはみんな一緒なんだよね。 私だけ被害者みたいな気持ちでいたけど、結城ちゃんだってきっと……――。「私、ああいうの見るの初めてで……」
「香塚先輩! あれが初だったんですか!?」結城ちゃんは食い気味に私の言葉を遮った。
なぜだろう。 その声色に羨望のようなものを感じる。「ワタシ、小さい頃からいろいろと見てきたんですけど。あのレベルのモノはそうそうお目に掛かれないですよ!」
あー。この子、霊感とかあるタイプの子か。
興奮ぎみの結城ちゃんを見たら、彼女がここに配属された理由がなんとなく理解できた。私が引いていることにも気付かず熱弁を振るおうとした結城ちゃんを制止するように、爆音で始業のチャイムが鳴る。
チャイムの音が大きすぎて建物全体が揺れているような気がするけれど、まさかこの音が原因で倒壊したりしないよね? 不安に駆られる私をよそに、朝のミーティングが始まった。「今日は香塚さんの初日だし、ここの仕事について改めて軽くおさらいしましょうか。
ここ、キッカイ町では他の町と比べて多くの怪奇現象が発生しています。その数、年間百万件以上。 キッカイ町の人口がおよそ一万とされていますから、平均するとすべての町民が三日に一度のペースで怪異に遭遇している計算になります。これは異常です。 我々怪奇現象対策課の使命はこれらの怪異の発生原因を探ること。そして怪奇現象の発生を食い止めることとなります」小津骨さんの説明を聞いて、私は驚いた。
キッカイ町に住み始めてもう三年になるけれど、怪異らしい怪異は昨日出会ったのが最初だったから。結城ちゃんはしょっちゅう見ていたみたいだから、同じかそれ以上に霊感の強い人なら日にいくつもの怪異に出会っていてもおかしくないのだろう。
それに、それだけ数が多いなら何かしらの対策を講じなければいけないという話もうなずける。肝心の対策については小津骨さんも結城ちゃんも素人なので、外部から怪異の専門家のような人を招いて教えてもらうことになるらしい。
その人に会って指導を受けるまでは過去の報告事例をまとめる時間になる。年間百万件の怪奇現象が起こるというだけあって、報告書の束が詰まったダンボール箱は公民館の入り口と化粧室以外のすべての場所を埋め尽くすように積み重なっている。
これは途方もない作業量になりそうだ。「ここまでで何か質問はある?」
「はい!」私は手を挙げてアピールする。
「香塚さん?」
「なんでここが図書館の分室扱いなんですか?」昨日家に帰ってから今この瞬間に至るまでに考えた中での一番の疑問がそれだった。
人事部長が意地悪な人だから、図書館だと偽って私のような人を送り込もうとしたのだろうか。 なんて考えもしたが、それでは入り口に伏木分室の看板を掲げる必要はないのだ。 看板を掲げるからには何かもっともらしい理由があるのだろう。「ああ、それね。アイツ……じゃなくて
説明する小津骨さん自身も納得がいっていない様子だ。
要はこの建物そのものが特設の郷土資料室ということなのだろうけれど、だとしたらもっとまともな建物を用意してほしかった。春の暖かな日差しが差し込んでこの寒さだ。
真冬になったら凍えてしまって仕事どころではないかもしれない。それにチャイムも壊れて爆音でしか鳴らなくなっているらしいし。
このままじゃ耳が壊れてしまう。 それはみんなも同意見らしく、近いうちに工事が入るという。 そういえば昨日はあんなに元気だった
「真藤くん……?」
「っと、はいっス!」 「めっちゃ床を見てたけど何かあったの?」 「猫の鳴き声っぽいのが聞こえるんスよ」真藤くんの言葉を聞いて、小津骨さんや結城ちゃんもこちらへ集まってきた。
「ほんとだ。聞こえる」
「床下かしらね」みんなが真面目な顔をして相談し合っている中、私の耳に届いたのは聞き覚えのある「みぃ」という鳴き声だった。
「……っていうことで、この本を近くに置いて寝ると夢の図書館に行けるみたいなんですけど、栞がずれるっていうのが結び付かなくて。小津骨さん、どう思います?」「どう、って言われると難しいわね。その『夢の図書館』っていうのがみんな共通して同じように見えるのかもわからないし、まして香塚さんはメガネをしてない状態で行ったんでしょう? それなら正しい姿が見えていない可能性もあるわ」 小津骨さんの言う通りだ。 瀬田さんからメガネをもらったのはいいけれど、メガネをかける習慣がないと忘れちゃうんだよね……。「香塚先輩、もしよかったらその本貸してくれませんか?」 結城ちゃんはこの本に興味を持ったようで、革張りの表紙を撫でてみたりページをパラパラとめくったりしている。「結城ちゃんなら霊感も強いみたいだし、お願いできるかな?」「そうね。危険を感じたらすぐに関わるのをやめてもらって、瀬田さんか誰かに相談するようにしましょう」「えぇ……、絶対なんかあるっスよ。やめた方がいいっス」 ビビリの真藤くんは一人苦い顔だ。「何かあるんだったら私がどうにかなってるはずだし、そんなに怖がることないと思うんだよね」「何ともないのはこーづかさんが鈍感だからっス」 ナチュラルに失礼なことを言った真藤くんを小突いてその日は終わった。 翌朝、結城ちゃんは満面の笑みで出社してきた。「行けましたよ~。夢の図書館!」「どうだった?」「聞いてた通り、大きなお屋敷いっぱいに本があって、男の子と女の子が応対してくれました」 二人の容姿も、自分の夢の本を手渡されたのも同じ。 ここまで共通項が多いとただの夢とは思えない。「夢の本を持って帰ってきたら本が上書きされるって聞いたから試しに持ってきてみたんですけど、本当ですね」 本をめくりながら嬉しそうに結城ちゃんが笑う。 自分の夢の中身が書いてある本を持ってくるなんて、結城ちゃん
そんなこんなで仕事が終わって帰宅すると、ちょうどお隣の木井さんが出かけるところで玄関前で鉢合わせた。 木井さん、珍しくスーツを着ている。「これからお仕事ですか?」「ええ、仕事というか……仕事になるかどうかのお話をしに行くというか……」 木井さんは微妙な感じでお茶を濁す。 この人の仕事ってよくわからないからなぁ……。 もしかしたら喫茶店とか占い師の他にもいろいろやってるのかもしれないし。 夢の図書館へ繋がる不思議な本がうちにあるなんて言ったら木井さんも喜んでうちへ飛び込んできそうだよね。 っていうか、伏木分室の仕事の内容とか話したら喜んで飛びついてくるんじゃないかな? それはちょっと困るから今は伏せておこう……。「お仕事につながるといいですね! じゃあ、頑張ってください」「ありがとうございます」 木井さんはぺこりと頭を下げると小走りで階段を下りて行った。 急いでるところを呼び止めちゃって悪かったかな? そう思いながら鍵を差し込んだ時、階下から派手な音が聞こえた。「大丈夫ですか!?」 慌てて下の階を覗き込みながら呼びかけると、木井さんがよろめきながら姿を見せた。「最後の段を踏み外しただけです~」 いててーと声をもらしながら、右足を引きずってひょこひょこと走り去る木井さんを見ているとなんだか放っておけないような気持ちになってくる。 奥さんもいるからきっと大丈夫だと思うけど、次に会ったら湿布でも渡そうかな? 木井さんのことを心配しながらも部屋に戻った私は、机の上に置きっぱなしにしていた本に手を伸ばす。「リーリエちゃん、この本が夢の図書館へ繋がる鍵になるって言ってたよね?」 でも、どうやって? 考えながら前にスピンを挟んだページを開く。 夢の世界の図書館で会ったリーリエちゃんの肖像画。
私が伏木分室に入ると、奥の部屋から男の人と小津骨さんが話している声が漏れ聞こえていた。 真藤くんとは違う声っぽいけど、始業前なのにお客さんだろうか? お客さんなんて滅多に来ないのになぁ、と思いながらいつもの仕事部屋に入ると、結城ちゃんが壁に耳を押し付けて隣の話を盗み聞こうとしているところだった。「あ、香塚先輩! ワタシ、さっき見ちゃったんです。小津骨さんがスーツ姿のおじさんと奥の部屋に入っていくところ!」「依頼者さんかな? なんか珍しいよね」「グレーヘアをオールバックにした真面目! って感じの人でしたよ。そんな人が怪奇現象対策課なんて怪しい名前のところに来るかなぁ……?」 たしかに、頭の固そうなおじさんはこういう所に来るイメージはないかも。「真藤くんは何か聞いたりしてないの?」「聞いてないっスー。朝来たらもうおじさんが立ってて、おつぼねさんと奥の部屋に行っちゃったっス」 まさかの一番乗りだったとは。 それにしても気になるのが……――。「真藤くんさ、どうして小津骨さんのことを『お局さん』なんて呼ぶの?」 毎回怒られるのをわかっていてその呼び方をするってことは、親子であるが故の照れ隠し? なんか、真藤くんってそういうタイプじゃない気がするんだけどなあ。「え? おつぼねさんだからおつぼねさんって呼んでるだけっスよ?」 え? もしかして私が勘違いしてただけで小津骨さんってあの字で「おつぼね」って読むの? でも自己紹介の時にしっかり「おつほね」って名乗ってたよね?「一番年取ってて偉いオバサンを『おつぼねさん』って呼ぶっス。ドラマで見たっスよ。もしかして、こーづかさん知らないっスか?」「……あ、え?」 真藤くん?? お局さんって言葉は現実よりドラマの世界で聞くことが多いのはわかるけど、なんかちょっと違う覚え方してる気がするなぁ。「真藤
気が付くと私は大きなお屋敷の前にいた。 後ろには立派な門があり、広い庭もある大きな洋館だ。 どこからともなく甘いような不思議な香りが漂ってくる。「すみませーん、どなたかいませんかー?」 呼びかけながらドアを押すと、鍵は開いていたようですんなりと大きな扉が開いた。「いらっしゃいませ。ようこそ、夢の図書館へ」 ドレスの脇をつまんで、ちょこりと会釈をする十代前半と思われる少女。 リボンが蝶の翅のようにふわりと揺れた。「わたくしはリーリエ。この図書館の司書をしております」「あ、こ、香塚です」 リーリエと名乗ったのはいわゆるゴスロリのような恰好をした、十代前半くらいの少女だ。 透き通るように白い肌と黒いドレスのコントラストと、人形のように整った顔立ちに目が釘付けになる。 少女は胸の辺りまで伸びた黒髪をハーフアップにして、髪色と同じドレスを身に着けている。 ドレスの裾や袖口のレースは何段にも重ねられ、まるで花のよう。 頭上のリボンはその香りに誘われて舞い降りた蝶のようだ。「リリ? 誰か来たのかい?」 声がした方を見ると、ひとりの青年がこちらへ向かってくるところだった。 黒いスーツベストを着た赤茶色の髪の青年。 その顔にはまだ幼さが残っている。「すい」 リーリエちゃんは青年の方へとことこと駆け寄っていき小声で何かを伝えている。「香塚様、ようこそ夢の図書館へ。本館の管理人をしています。芙蓉睡と申します」「フヨウさん……?」 なかなか聞かない珍しい名前だ。「蓮の花の別名だそうですよ。あ、呼びづらければ睡で構いません」 柔らかに微笑みながら教えてくれた睡さんは私を屋敷の中へと案内してくれる。「わぁぁぁぁぁ……」 屋敷の中に入った私は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。 三階まで吹き抜けになった
快気祝いと称してかなちゃんに呼び出されたのはキッカイ町の海側である布佳海地区にある居酒屋だった。 なんでも予約の取れない店として一部では有名な店らしく、かなちゃんがここを予約したのも半年前だったとか。 ……ってあれ? なんか辻褄が合わない気がするけど?? まあ、どの料理もすごく美味しかったからいいか。 そして、そのまま二軒目、三軒目とはしごをしていき、気が付いた時にはかなちゃんはすっかり出来上がっていた。「こーづかちゃん、本っ当に無茶はしちゃダメだよ?」 酔っ払ったかなちゃんが何度目かの同じセリフを口にして私を抱きしめる。 本当の本当に私のケガのことを心配してくれていたみたいだ。「わかってますって! さすがにこれだけ痛い目に遭ったらもうやりませんよ~」 私も何度目かの同じ返事をして、残っていたしめ鯖と日本酒を一気に流し込んだ。 頭がポーっとふわーっとして気持ちいい。 けど今何時だろう? 何気なくスマホの画面を覗いて、しまったと思った。「かなちゃん! 大変です! 日付変わってる!!」 ぼんやりしているかなちゃんにスマホを見せるけれど、かなちゃんもぽやっとしていてふんふんとご機嫌な相槌を打つだけだった。 今月はケガのせいで入院したり手術を受けたりいろいろと出費が多いから、せめて往復の交通費を浮かせるためにバス移動にしようと思ったのに……。 最終バスはもう二時間以上前に行ってしまったらしい。「諦めてタクシーでも使いますかぁ……」「じゃぁあたひあつかん~」 そうと決まればもう一杯。 ろれつが回らなくなっているかなちゃんの代わりに私が注文をし終えた時、お店のドアが開いた。 この時間にも新しいお客さんが来るんだなぁ、と思って入り口の方へ視線を向けると、そこに立っていたのはスーツ姿の男の人だった。 その人は私たちが座るカウンター席にまっすぐ向かってくる。 常連さ
「お、おはようございます……」 週が明け、右手をギプスで固定された私は赤面しながら伏木分室に入った。 人生初の除霊で人生初の骨折をし、人生初の入院と手術を終えた。 ケガをしたのが利き手だからしばらくは不自由な生活になるけれど、こればっかりは自業自得だから仕方がない。「うわぁ……思ったより酷いことになってますね」 私の手を見てぎゅっと顔を歪める結城ちゃん。 その横でワクワク顔の真藤くんが油性ペンを握りしめているのはなぜだろう?「香塚さん、おはよう。 みんな揃ったし、瀬田さんから届いた手紙を見ましょうか」 そう言って小津骨さんが持ってきたのは、厚さ三センチはありそうなA4サイズの分厚い封筒だった。 表面には大きな赤い文字で「重要書類在中」と書き付けられている。 瀬田さんの筆跡なのだろうか。 とても綺麗な字だ。 大きな封筒の中には私たち一人一人の名前が書かれた茶封筒と、数種類のお札が入っているクリアファイル、あとは表紙にでかでかと「機密文書」と書かれた冊子が一冊入っていた。「これは……瀬田さん独自の怪異対処マニュアルね」 いかにも仰々しい雰囲気の機密文書をパラパラと流し読みしていた小津骨さんが呟く。 これが外部に流出することは絶対に許されないので、小津骨さんがきっちりと管理してくれるようだ。 次に、私たちはそれぞれ自分の名前が書かれた封筒を受け取って中身を確認することになった。 中に入っていたのは二枚の紙。 香塚妙様 視認・D 接触・B 対話・E 除霊・SSS 総合・B+ 一枚目に書かれていたのはそれだけ。 もう一枚はA4サイズの紙に細かい文字でぎっちりと書き込まれている。







